January~June 2015


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 想いを綴って


2015年12月30日

12月のキッズ英会話で歌をやりました。
「クリスマスの12日」を、1日目は○くん、2日目は○ちゃんと
好きに選ばせて、みんなで練習しました。
せっかくなので、外の部屋で待っていたお父さんお母さんにも声をかけると
ちょっとしたミニコンサートになりました。
幼稚園の男の子は
「11人の笛吹きが笛を吹いている:イレブン パイパーズ パイピング」が
おかしいと、気に入って大きな声で歌っていました。
終わって帰る時に「見て。すごいお月さまだよ。」の声に
みんなで月を見つめました。


2015年12月26日

小さな子どもたちの家に遊びに行き、
夕飯を終えると、近くにきれいなピカピカの家があるので見に行こうと、
みんなで行きました。
家の外側がライトアップされて、道路にもレーザー光線が映り、
その色が刻々と変わるので、
子どもたちはライトの中にジャンプして追いかけっこをしていました。
何だか変だなと思い、子どもたちの動きを見ていると、
変な感じになってきたので、帰ろうとしたところ、
帰り道で2歳の子がもどしました。

クリスマスのイルミネーションもLEDであったのか…。

最近はLEDのオーナメントではなく、かえって手作りを大切にする
人たちも増えてきたと聞きます。
ドイツ人のクリスマスパーティに行ったところ、
もみの木が本物でドンと置いてあり、それにシンプルなオーナメントがついていて、
もみの木が、もみの木でした。
私たちがどのような環境を作っていくのか、
影響はすぐに子どもたちにあるのだと思いました。


2015年12月19日

縄文土器の資料館で新しい展示があり、
最近発掘された縄文の中ごろの火焰型土器が
見つかったそのままで飾ってありました。
縄文土器はどうしてきれいなまま発見されるのだろう?
土器には底がちゃんとあり、把手もあり、
土器の側面には鍋として使っていたので、すすで黒くなっているものの、
くたびれた鍋という感じではなく、
縄文土器という、なにか美しいもののように感じます。

縄文土器が作られるのは、たきぎがよくできる秋から冬にかけてのようです。
みんなで粘土で土器を作り、たき火で土器を焼き、
そばで子どもたちが遊んだり、その周りで犬も走り回っていたのかなと思います。
焼いた後、風をとおして乾燥させ、完成です。
よく晴れた冬の日。縄文の人はこんな青空の日に
土器を焼いていたのかと、空を見上げます。


2015年12月13日

資料館や埋蔵文化センターに行くと、
縄文土器作りの名人の方がいろいろ教えてくれ、
今度は何の話をしてくれるだろうと思うようになりました。

石のやじり(石鏃)を縄文時代で見ると狩猟用なので、小さいものですが、
それが弥生時代になると大きくなります。
そのことを名人に聞くと、縄文時代は石鏃は狩りに使っていたけれど、
弥生になると各地で戦争が行われるようになり、殺人兵器となった話を聞きました。
縄文時代はみな平等で、余剰な食料があると、分けて食べていたところ、
弥生になり、稲作が始まるためか、貯蔵するようになるためか、
急に人殺しを始め、九州の吉野ケ里遺跡からは頭骨に石鏃がささって発見されるけれど、
卑弥呼の記録しかないので、何も分からないとのことでした。
やはり卑弥呼の話が出てきて、ドキッとしました。

縄文時代は貧富の差がなく、お互いが支え合って生活をしていたと思うと、
縄文の人のあたたかさを感じます。


2015年12月8日

大阪ワークで関西に行った時に、海の見える丘の街に行きました。
街を歩いていて、縄文土器があるかと、ふと市立博物館に行くと、
イギリスの博物館の特別展をやっていて、
200万年前からの石器、石槍、土器などが
世界中から集まっていました。
その中の一つのブースが縄文土器で、3つの土器がいました。
土に金箔が入ったキラキラした中期の土器で、木のふたも漆塗りであり、
今まで見たこともない美術品のような土器でした。
帰り道、道が分からず、バスで帰ろうとしたところ、
運転手さんに行き先を聞くと「歩いた方が楽しいですよ。」と言われ、
一瞬「え?」と思いましたが、歩きはじめると楽しくなり、
パンをかじりながら海の見える街を歩きました。


2015年11月30日

大豆は今から4,500年前の縄文時代から食べられていて、
こうじ菌はまだ活用されていなかったので、みそは作られていなかったけれど、
竪穴住居のたき火の熱い灰の中にうずめて、いり豆にして、
縄文の人々の食を支えていたという料理雑誌の記事に触れました。

大豆が縄文時代から私たちの大きなエネルギーになっていたことが、
嬉しく思いました。


2015年11月16日

無有日記に縄文土器が登場してから、資料館や埋蔵文化センターに足が向きます。
先日、ワークでムーさんが、縄文土器の底が尖っていることをおっしゃったので、
再び訪れました。

16,000~8,000年前の縄文土器の草創期の初期は薄手で丸底か平底でした。
それが草創期の中で深底で尖ったものになります。
①縄文土器は熱効率を考えて作られていた側面があります。竪穴住居の真ん中に囲炉裏があり、
灰を集めて燃やし、その中に土器を入れて食材を煮るため、尖ったものになりました。
(最初はドングリや鳥・タヌキ等・貝。魚は焼きました。
中期には、とちの実を煮て、あくをとって、食べるようになりました。)
②中期になると、石や木材で作った囲炉裏に土器を置き、燃やすようになりました。
③縄文土器には縄や、木のへらで作った模様があったり、ふちのところに細工があり、
それらはすべて物語で、何かを伝えようとしたものです。
ある時期に関東で見つかった土器と日本海側で発見されたものが、同じような土器で、
土器から人々の想いや交流が分かります。
④縄文土器は厚手のために、長く粗野であるかのように思われたところ、
大陸からの影響が弥生や古墳のようにはなく、日本独自の文化を歩んでいたことから、
近年、新たにスポットライトをあびるようになったそうです。
⑤土器の底は晩期になると再び尖ります。
太平洋側で見つかった塩を作るための土器は、底が尖り、塩がついています。

縄文土器はすごいんですよと、資料館の縄文土器担当の方は語ってくれます。
10,000年以上前の最初の薄手茶碗のような土器を手にすると、
縄文の人々の想いが伝わってくるようでした。


2015年11月14日

レッスンではない日におふろ屋のおばあちゃんの顔を見に行ったところ、
番台で手作り英語テキストを練習しているおばあちゃんがいて、
私を見るなり「私はハワイ出身ですってやりましたよね。何でした?」
と話し、それはレッスン8でしたか…と、その日もレッスンをやりました。
番台でぼんやりテレビを見ていたら、70歳からの手習いで、
男性が「私は~から来ました。」とやっていたので、自分も言えるはずと
ずっと探していたとのことでした。
おばあちゃんたちの英会話は、未来を明るくすると思いました。


2015年11月5日

イギリス人で、読み終えたイギリスのファッション雑誌等を送ってくれる人がいます。
その雑誌の中に『カントリー リビング』(田舎暮らし)という雑誌があり、
イギリスの田舎暮らしの生活・食器等が載っています。
春はベリー特集で、いちごやラズベリー、ブルーベリーも、
そのまま切って盛り付けるのが最高といったように載っていました。
夏は豚の飼い方特集でした。
カップルが子豚を買ってきて、育てて、いつくしんで、やがて殺して
その肉でベーコンを作るのが載っていました。
リンゴをバケツごと食べさせ、わらを敷いてやり、
死の迎えさせ方も細かく書いてあり、
大きくなった豚にその時がやってくる場面も載っていて、
何かシンプルなメッセージが伝わってくるようでした。


2015年10月29日

少し前に縄文時代や弥生時代の土器を展示している場所に行き、
縄文土器の優しさに触れ、それからいろいろな資料館に行く機会がありました。
縄文土器が出土している場所は限られていて、
古墳時代(3~7世紀)からの展示の資料館もありました。
古墳時代のはにわを作ってみようのコーナーがあり、縄文土器はどうかと聞くと、
難しい(草創期は底が尖っている)とのことで、はにわにしました。
小学生の横で作ったところ、円筒はにわがすぐにできました。
できたはにわを大切に車の後部座席に置いたところ、
帰り道で梨をもらい、「梨だ、梨だ。」と喜んでいたところ、
帰ってみると、はにわは梨の下になっていました。


2015年10月20日

東日本大震災で津波が襲った岩手県の街に行きました。
宮城県の被災地の石巻などにはこれまでも何度も行き、
一年ほどで家が再建されていましたが、
全く様子が異なり、そこここが工事中で、今後に備えるために盛り土をして、
ブルドーザーと大型トラックが走り回り、住民の方は町からかなり離れた
山里の仮設住宅に住んでいました。
震災から数年がたち、落ち着いた生活を始めた方がいる中、
その街では住民の多くが亡くなり、いつ元の生活に戻るか分からないとのことでした。
父が幼少期を過ごし、私も幼い頃からその海を望み、
「心の風」に初めて出会った頃、
ふと本を片手に電車で訪れたことがあった日を、
海を見ながら昨日のように思い出していました。


2015年10月15日

一晩開けっぱなしだった窓に、朝、気付き、
ふとカーテンに紅葉のような大きな葉っぱがついていたので、
タオルで包むようにふわっとつかみました。
すると葉っぱの真ん中にこぶたの顔があり、
‘キィッ’と葉っぱが鳴いたので、ベランダから放つと
こうもりに変身して、パタパタと朝陽に向かって飛んでいきました。
こうもりが寒くて一晩カーテンの布団で休んでいたのかと、
朝の太陽を見つめました。


2015年10月7日

大雨で川が増水して浸水した焼きそば屋さんの片づけを手伝い、
使っている物や食材を処分する中、アイスやソフトクリームも
当たり前に手作りであったので、
このお店の方がみんなのことを普通に大切にしていたことに気づきました。
除菌作業を自分たちでして、再開かという時に、町でも除菌をするというため
再度、荷物出しをして、ようやく落ち着きました。
知り合いのお子さんの家だったので、お店が再開するまで気になっていたところ、
急に新しい動きが出て、タイミングでお母さんに「心の風」「心の遺伝子」を渡し、
じっくりお母さんのお話を聞く機会がありました。
枕元に置いて読んでいますと、お母さんの笑顔があり、
さわやかな秋の空に吸い込まれるようです。


2015年9月25日

幼稚園でもらったというビニール袋に入った朝顔の種をもらい、
春から育てていました。
夏の間、つるはどんどん伸びますが、花は咲きません。
本当に朝顔の種なのか、つるの種だったのかと思いながら、水をやっていました。
秋になり、ふと見ると、
白い朝顔が一つ二つ、三つ四つと咲いていました。
白い朝顔は可憐な感じで、それでいて凛として
さり気なくそっと咲いています。


2015年9月19日

大雨で各地に被害が出ました。
私のいる街も、住んでいるところは大きなことはなかったのですが、
多くの家屋が浸水し、避難をしました。
大雨が過ぎ去り、その後には撤去作業と泥かきと、除菌作業があります。
川の近くで被害のあったお店に玄米おにぎりを持って手伝いに行きました。
いろいろな人がいつの間にか集まり、
それぞれができる作業を手分けしてやりました。
最初は「何でこんなことにあうのかな。」とつぶやく方の顔が厳しかったのですが、
電化製品や様々なものを処分に出し、除菌作業まで終わると、
ようやくホッとした顔が見られました。
後で「あの日は玄米おにぎりがおいしかったよ。」と声をかけられると
心がポッとあたたかくなりました。


2015年9月10日

アメリカの西海岸に行った時に、英語だけではなく
スペイン語が普段使いで使用されていたことがふっと思い出されて、
スペイン語を習っています。
レッスンで身体の状態を表現する単元があり、
「風邪をひいた」であれ?と思うことがありました。
風邪はスペイン語で‘インフルエンザinfluenza'ですが、
‘influence'は英語で影響という意味です。
何の影響?という話になり、星からの影響と教えてもらいました。
昔の人は風邪を星からの影響と思っていた…。
今ではインフルエンザは英語では‘flu'が使われます。
語学を習うと面白い発見に出会います。


2015年9月1日

大阪に行くと果物や野菜を見るのが楽しいです。
普段あまり見ない地域産の果物・野菜にワクワクします。
大阪で、お店に大きな関西産のいちじくがピカーッと光って並んでいたので、
買って食べるとおいしく、そのまま何個も手が出ました。
北海道でなかなか見られない果物の一つがいちじくで、
本州からの甘露煮か砂糖漬けを食べていました。
ある時、北海道の八百屋さんでいちじくを見つけ、2・3個で1,000円であったので
その値の高さと久しぶりに見た生のいちじくに感慨深く、見つめてしまいました。
聞くと、空輸のいちじくとのことでした。
元気で新鮮な果物・野菜を見ると、こちらも元気になります。


2015年8月27日

ユースホステルの利用者が減少していて、どのようにしていけばよいか
対策を講じていると、日本のユースホステルの問題が記事になっていました。
幼い頃、家族で海に行くときはユースホステルに泊まることがありました。
ほかのお兄さんやお姉さんが弾くギターを見て、
大人ってかっこいいなと思いました。
今でも、海外でユースホステルを利用することがあります。
キッチンは紅茶やコーヒーが誰でも飲めるようになっていて、
各国の方と紅茶を飲みながら、夕食は何を食べているのかとか、
街の歩き方を教えてもらったりします。
アメリカのユースホステルで、友人に会いに来た
編み物をしているニューヨーカーの方に、
お茶をしながら編み物を教えてもらったことを思い出し、
初めての人が気楽に話せるのも
ユースホステルならではかと思います。


2015年8月18日

日本のお肉やパン・お菓子は防腐剤のにおいがするとドイツの方が
話したことから、
食についてみんなで語り合うことがありました。
ドイツ人の方は、日本の袋に入っているパンは防腐剤のにおいがするので、
子どもたちには食べさせないようにしていると話し、
パンは全粒粉の黒いパン、砂糖は黒い砂糖でないとおかしいと言い、
長くチリで働いていた日本人の方は、日本に戻ってきて食肉が1週間ももつことが
おかしいと感じ、チリでは買った次の日からは肉のにおいがしてくるので、
必ず洗い、香辛料で香りをつけ、買ったらすぐに食べるようにしていたと話しました。
最後に台湾の方が、肉は市で買うけれど、店の横に鶏や牛がいて、
店の人が殺して売っていたので、新鮮が当然であったということで、
国により異なると、うなずき合いました。


2015年8月13日

以前、仲間のホームページで紹介されていた、
福井県永平寺の無農薬栽培の農家の方からお米を送ってもらっています。
お米のほかに、田んぼの様子や、永平寺の生産農家の方の
勉強会の資料も送ってくれることがあります。
その中に、ネオニコチノイド系農薬散布で、農場でミツバチの群れが消滅したという結果があり、
それに手紙がついていて、「農薬を使っている農家で、マスクをして散布をしても
身体を悪くする人が幼い頃からいたため、私は学者ではないのでよく分からないけれども、
漠然と危険を感じていたため、(無農薬に)取り組んでいます」とありました。
生産者、消費者、そして環境に安全で安心な食べ物が手に入る社会になればと思います。


2015年8月6日

夏休み。
キッズ英会話も休みにする?と子どもたちに聞くと、
「やるよ。」と言うため、普通通りにやっています。
夏休み前に子どもたちが話し合いをして、
いつもは幼稚園から高学年まで一緒にやっているところ、
幼稚園・低学年組と高学年組に分かれてやってみることになりました。
高学年の子は、いつも小さい子が気になりながらやっていたせいか、
どこかホッとした顔になり、
好きなアーティストの話をしたりします。
コロコロしながら英会話。
これも夏休みという感じです。


2015年7月30日

ドイツ系の南米の音楽家にピアノのレッスンを受ける機会がありました。
その方は楽譜に書いてある音符♪や記号を暗記するように読み込んでいて、
レッスン中は腕を振って想いを表現し、しまいにはピアノに合わせて歌い始めました。
あなたはどういう気持ちでこの曲を弾いているのかと何度も聞かれ、
それではそのように弾いてみなさいということで、
想いがそのまま音楽になるというのはこういうことかと、
フワーッとした気持ちになりました。
想いを表現する。
それは発する言葉、行動、文章、スポーツ、音楽、料理等すべてに通じると思います。
どのような自分が表現しているのかということなのかと感じました。


2015年7月22日

夏になると、待ってましたと言うように
スイカを丸ごと買ってきます。そばかすの真っ赤な顔に出会うと、
また会えたねという気持ちになります。
東日本の震災の時、石巻の方から真夏の夜に電話があり、
スイカを一個もらい、バケツの水で冷やして、一緒に避難生活をしている
みんなでおいしく食べたということでした。
石巻に電気が通ったのは震災から半年を過ぎた後であり、
冷蔵庫のない中、みんなで食べるスイカは
どんなに甘くておいしかったことかと思い出します。


2015年7月14日

集団的自衛権の行使を認めた、安全保障関連法案が衆議院で審議されています。
子どもたち・若者の生き方を大きく左右する法案を審議している中、
全国の大学では、理工系を重んじるようにし、人文系の在り方を見直すよう提言がなされ、
また小学校では、日本の子どもたちのTOEICの点数が
他の先進国より低いことから、早期の英語教育が求められています。
未来の子どもたちに安心した社会・環境を渡していくことを
私たちが考えていく必要があると思います。


2015年7月8日

春先にツバメの巣ができ、
やがて親ツバメがヒナにエサを与えていましたが、
最近は巣からヒナが飛び出して飛び立つ練習をしています。
ヒナ鳥は一列になり、パタパタと洗濯竿を目がけて飛んできて、
こちらの音楽を聞きながら
ちょっと一休みのような顔をして、空を見ています。
ツバメたちの旅立ちの日はもうすぐです。


2015年7月3日

おふろ屋のおばあちゃんの英会話レッスンに行くと、
おばあちゃんがおふろ屋の横でやっている駄菓子屋兼焼きそば屋に
英語しか通じない外国人がやってきたと教えてくれました。
おばあちゃんはウェルカムと伝え、
この店のおすすめは焼きそばヌードルだとすすめ、
デリシャスと言ってもらえたと、場面の単語や会話を
思い出しながら話していました。

7月になり、またさわやかな風になった気がします。


  
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